国連の持続可能な開発目標(SDGs)は、世界が抱えている様々な課題を解決していく17のゴールが制定されています。その中に食と関連する目標がいくつもあります。日本はまだまだ認知が低いですが、世界的にこの目標をクリアすることが、企業にも団体にも地域にも求められてきています。
そのような世界的な流れの中で、弊社は、具体的にSDGsのゴールにむけての具体的な食食作りをお手伝いすることで、サスティナブルな社会に貢献していきます。
美味しい、健康的+社会性が求められる時代に
食べ物を選ぶときの理由が近年変化してきています。美味しい、健康的、価格などだけでなく、近年のデータを見ると、社会性という言葉が台頭してきています。この食品を購入することが、自分と社会とどう繋がるのかという点を重要視しているわけです。(食品ロス、フェアトレード、環境保全など)
持続可能性のある食は、自分と社会との関わり方という視点が欠かせないのです。
持続可能性のある食の切り口は様々
サスティナブルな食については、生産から流通、販売、消費まで、それぞれの立場での取り組みが期待されています。
食品ロスを減らす、誰かが犠牲にならない、地域で循環する、生物多様性を守る・・・など、切り口は様々です。
しかし、実際に何をどうやたらいいのか、現場ではまだよく理解されていないようにも思えます。
コートヤードのサスティナブルな食作りとは
弊社のめざすサスティナブルな食づくりとは、
「今ある資源を活かす知恵と工夫のある食を創り出すこと」だと考えています。
それを提供できる知恵と工夫をご提供するのがコートヤードのミッションです。
今、売れる商品を何か作ればよい、という単純な考え方とはちょっと異なります。
「食べたいものを食べたい時に食べる」でいいの?
「食べたいものを食べたいときに食べること」のために、大量にモノが作られ、大量に提供されてきました。
食品の開発も、最初にメニューや作る商品が決まって、それから必要な素材を調達してくる効率よいモノ作りがなされてきました。
しかしその裏側では、沢山の犠牲や無駄が産まれました。
誰かが我慢したり、ロスがでたり、ひずみがあるのです。
それは「効率重視」でモノ作りをしてきた弊害とも言えます。
持続可能性のある社会にするためには、考え方を変えて、今までのモノ作りの仕組みをどこかで変えていかなければなりません。
作りたいものを作るために材料を生調達するばかりでなく、そこに当てはまらないような食材や、余剰品や、今ある素材から何をどう作るかという発想の転換がサスティナブルな食作りには必要なのです。
「始末料理」には知恵と工夫が詰まっている
京都では昔から「始末料理」という言葉があるそうですが、残ったものを無駄にしないで始末して食べるということです。京都の女性は、始末が出来て一人前という話も聞いたことがあります。冷蔵庫の残り物で何かを作るというのも、今あるものを活かして作ることですね。それができるのは、知恵(知識)と工夫があるからです。持続可能な食には、こういう視点が必要なのではないかと思います。
素材の「適材適所」を見つける
畑にいた頃は、「この野菜をどうやったらマルシェやホテルに買ってもらえるか」ということをずっと考えていました。
欲しい人に欲しいものを提供するには、その農産物の個性を見極めて適材適所で活用してもらえるようにする必要があります。
組織の人事とも似ていますが、適材適所で人が活かされるように、素材に適した形で活かされるようにすることが、「サスティナブルな食作り」です。
生物の多様性の損失は食の多様性に
最近、伝統野菜や在来種野菜、地方野菜がクローズアップされていますが、これらの野菜は個性派ぞろいです。栽培する人が減少して、絶滅していくものが全国で沢山あります。地域に根差してうし、その土地の気候風土にあった作物が失われていくことは、食や生物の多様性の損失でもあります。
また、今作られている作物でも、ちょっと使いにくい野菜、収量はよくないけれど美味しい野菜などは、どんどん淘汰されてきています。作られるアイテムが減少すれば、食の多様性も減少していく事に繋がります。どこでも同じような素材から作られたものしか食べられなくなるのでいいのでしょうか?
素材起点で作り手も食べ手もHAPPYに
商品開発は、まず作りたい商品やメニューありきで、素材が調達されるという流れでずっと行われてきました。そうなると、美味しさよりも、効率性や便宜性が優先されてしまい、多様性や美味しさは二の次、三の次になってしまっています。また、食品ロスも各所で派生してしまいます。それが現状です。
でも、旬の美味しいものを食べたい、いろいろな食品を食べたいという消費者のニーズはあり、彼らの願いを叶えるには、素材起点で考える商品開発が有効です。
作り手も食べ手もHAPPYになれる考え方が持続可能性には必要なのです。